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11.02.22 Signal Tourにスケートヒーローがやってくる [スノーボード]

ビックリしたよ。4ヶ月も放置だったとはね。
twitterを始めてからこっち、どうもブログがお留守になっちゃってるね。
気軽につぶやいちゃうから「書きたい!」って欲求が溜まらない感じなんだよね。
う〜〜む、これはちょっと考えものかなぁ。

さてさて。2011年の2月25日から、3回目となるSignal SnowboardsのJAPAN Tourがスタート!
今回はニセコで開催される「SNOWSUMMIT」に参加して、撮影して、札幌に行って、東京ショップを回って、最終的には3月5日〜6日に天神平で開催されるバンクドスラロームに出場って予定。

日本からは堀井優作や赤川陽輔、加納 真の他、Signal Loverの菅沼宙史や渡辺和也が参加。
アメリカから来日するのはマット・ハマー、ジェイク・オルソンエルム。残念ながら予定されてたクリス・ダフィシーはお休み。デイブ・リーも予定調整中だけど、参加するなら後半から、かな。その代わり、ユタ・ローカルのオースティン・グランガーと、あいつがやってくる!!

元々は一昨年の夏あたり。
スケートを始めた僕は、寝ても覚めてもスケートのことばっかり考えてたんだよ。
大の大人が「あ〜、一日中スケートだけしてたいなぁ〜」とか本気で言ってたからね。
んな中で、この映像に巡り会っちゃった。

Monday minute #5 from riley erickson on Vimeo.



ま、ミニランプにハマってる身としてはいろんな映像は見たいんだけどね。
「Cheese & Cracker」並みの難しいトリックばっかり見せられても現実感がないし。
ちょうどいい難しさでカッコいいお手本を探してた。

で、オープニングのミニランプ!
もうね、初見からドハマリ! 完全ストライク!!
キャブやらロックンロールのこなし方なんかがカッコ良すぎ。細かいワザ入れすぎ。
これこそ理想のミニランプさばきじゃん!ってことになり。
とにかくこのルーティンをマスターしたい!ってことで一つ一つのトリックを練習し始めて、完全にヘビーローテーション。
たぶんマジに100回くらいは見てると思う。

で、ワザばっかり見てたから、ライダー名なんて全然チェックしてなかったんだけど。
今回の来日ライダーを見て、なんかすげー目が引っかかったっていうか。
どっかで見覚えのある字面。
え〜と、Cody……Beie…rs…????

Cody Beiersdorf !!!

コーディー・ビエルスドルフはここんとこSignalで動いてるライダー。
その名前はチェックしてたけど、なぜか今日の今日までこのふたつがリンクしてなかったんだよ。
僕が何回も何回も見て、これやりてぇ〜って身もだえしてたミニランプルーティンをさらっとこなしてたちょ〜カッコいいスケーターって、今回来日するCody Beiersdorfじゃねぇの!!!!!??????

なんか思いがけないところで繋がったって言うか。
考えてみたらCody BeiersdorfはJake Olson-Elmと同じ「House of 1817」のクルーだし。
いつかは繋がってもおかしくないんだけどね。
僕の中ではCodyはスノーボーダーってよりも、スケーターとしてサイッコウにかっちょいいライダーなんだよね。

そのCodyと会えると思っただけで、ちょっと今回のSignal Tourは特別かも。
もちろん、ほぼ2年ぶりに会うMatt HammerやJake Olson-Elm、Austen Granger、それにSignal Familyのクルーに会えるのもすっげぇ楽しみ。

Tourの記事は来期のFREERUNに掲載する予定だけど、たぶんまたまたおもしろい旅になると思うよ。
詳細はまた追って!




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10.10.21 キッズ用 長期レンタルボードについて進展があった [スノーボード]

この話はとっても嬉しいから速攻で書いちゃうよ。

先日、キッズ用シーズンレンタルボードがあればいいのになぁって、このブログに書いた。
2010年10月13日付けのコレね↓
キッズ用 長期レンタルボードについての考察

実際には長期レンタルに見える、買い取り保証の販売システムなんだけど。

で、ある人たちにその考えを投げてみた。
正直、その人たちの協力なしにはこの話は実現しないだろうなぁって思ってたからね。
野生のカンが、話すならあの人たちだよって囁いたわけ。

そしたらまぁ、ちょっと飲みますか的な流れになってぶっちゃけミーティング開催。
その席で、僕はキッズ用シーズンレンタルボードがいかに重要か小一時間かけて説くつもりだったんだけど。
先方はそんなこととっくにお見通しで、
「どうやったらうまくいくと思います?」
って話からスタート。

え! いきなりそっから始めていいんすか!? ってなもんで。
だから、こう思います、ここはこうしたいです、こうなるとすごくシアワセです、なんてことを勝手に喋ってきた。
僕としてはビジネスにはならないだろうけど、損はしないことがポイントだと思ってて。
「誰も赤字にならない。だけど誰も黒字にならない。決して自分を犠牲にする滅私奉公ではなく、子ども笑顔のためにみんなで汗をかこう。無理はせず、自分の手元にあるものだけを持ち寄ろうっていうユルい共同体的認識。それをベースにお互いが協力しあえたら嬉しいです」
ってことだけ強調した。
そしたら、
「あ、それはうちの会社の理念です」
って。

だからいくつかの懸案をあげたら
「分かりました、今シーズンからやりましょう!」
ってことになった。

マジっすか!!!!!!!!!!!!!
なんつうか先方があることだし、窓口で話を聞いてくれた人もこれから会社に戻って会議を通さないといけないからね。
今日のこの時点で話したことが本当に実現できるとは限らない。
僕だってそのくらいは世間を知ってる。
だからここで先走ったことは言えないけど。
この会社、マジでかっこいいぞ。
なんせリアルにスノーボーダーとしてのマインドで話をして、途中で一回も、何もつまづかなかった。
何よりも、自分たちのビジネスを大事にしながらも10年先のスノーボードシーンをきちんと見てくれてた。
全力疾走だけど視線は足もとじゃなくて、遙か彼方だったんだよ。

窓口になってくれた人には、最初からキッズ用レンタルボードの構想があったんだって。
現にそれを実行してて。
だけど次のステップはどうしようかなぁ〜って思ってたんだって。
そこにキッズ用シーズンレンタルボードがほしい、って声が上手い具合にはまってくれて、今回のミーティングにつながったんだよね。
決して僕が何かをしたとか、そういうことじゃなくて。
どっから来るか分からないけど、もしもボールが飛んできたら受けようと、ずっと前から待ち構えてた。
そういう人がいてくれてことが、ものすごく嬉しかった。

もしかするとこれは、おもしろい流れになるかも。
だけどね。
間違いなく、このシステムは儲かりません。
だからお金が大好きな人、お金を儲けたい人は、最初から近づかない方がいい。
一応僕らは大人だし、それぞれに生活があるから赤字にならないようにしっかり考えるけど。
確実にお金持ちにはなれない。それだけはハッキリしてる。
だからお金が大好きな人はごめんね。

それよりも僕が嬉しいのは。
力を注いでくれる会社や、間に入るショップや、親御さんや、みんながスノーボードをして喜んでる子どもの笑顔でハッピーになれる。
誰も儲からないけど、誰も損をしない。そして誰も傷つかない。誰も自分を捧げない。
そういう輪を作りたいなぁって思ってたんだけど、それが実現しそうなことなんだよね。

この話がどうなるのか、どんな着地点に落ち着こうとしてるのか、僕にはまったく分からない。
本当に実現するのかどうかも分からない。
もしかしたら、話だけで終わっちゃうかもしれない。
ただの言うだけ番長になるかもしれない。
それに。
そんなこと無理に決まってるだろ。
あそこのあの人はこう言ってるぞ。
これはどうするつもりなんだ。
ふざけんな、などなど。
いろいろ逆風はあるだろうな。

だけどさ、子どもの笑顔を見ながら、同じことを言ってごらんよ。
無理だ、やめろ、仁義を通せ。
同じことを、子どもの笑顔を見ながら言えるかな?
きっと、雪の上で喜ぶキッズを見てたら否定的な意見を並べるんじゃなくて、これを実現するにはどうしたらいいだろうね、っていう建設的な言い方になるでしょ。
だったら最初から、無理を実現するにはどうしたらいいか、って考えたい。

だから。
どうかみんなの意見を聞かせてください。
どうかみんなの力を貸してください。
僕はたくさんの子どもたちがスノーボードをして楽しむ姿を見たいと思ってるよ。

ご意見はツイッターの
takurohayashi

whereistakuro@gmail.com
でお待ちしてます。
(メールでいただいたご意見はブログで公開させていただくかも。
 事前に了解をうかがいますが、公開はいやだなぁって方は、その旨お書き添えくださいませ)


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10.10.13 キッズ用 長期レンタルボードについての考察 [スノーボード]

こういうのがtwitterのおもしろさなんだけど。

フォローさせてもらってるswitchb5さんが
「キッズ用スノーボードのシーズンレンタルやってるところってないかなぁ。すぐサイズ合わなくなるし、かと言って毎回レンタルじゃ上達しにくいだろうし。神田あたりのショップでやったら需要あるとは思うんだけどな。」
ってつぶやいてた。

これは本当に名案だ。
確かにキッズには同じ板をずっと使わせてあげられたらいいよね。
慣れてる板の方が絶対に楽しいし、上達だって早いに決まってる。
キッズが楽しいと、親御さんだってハッピーだからね。

けどキッズはすぐに大きくなるから毎年装備フル買い換え、みたいなことになっちゃう。
それは親御さんとしても負担は大きい。
だから勢い、レンタルに頼っちゃうわけだけど。
そうなると山に行くたびに慣れてないブーツで違う板に乗ることになって、キッズは戸惑っちゃうみたい。
事実、件のswitchb5さんも長期レンタルを望んだきっかけが
「五歳女の子でボードは去年が初。初めてはLTR。木の葉が出来て楽しそう。二回目何とかサイズのある板を探しレンタル。ディレクショナルでアングルがかなりの前振り&セットバックきつめ&キャンパーきつめ&硬い。木の葉出来ずにつまらなそう。こんな感じでしたw」
なんだって。
なるほど。
こういう経験から、シーズン単位の長期レンタルってユニークで実用的な考え方が生まれてくるんだね。

で、これを実現するにはどうしたらいいか考えてみた。



まず長期レンタルは可能か?なんだけど。
たぶんショップが長期レンタルをした場合、その商品はお店の在庫として抱え続けることになる。
それはきっと嬉しくないよね、帳簿上。
ショップとしてはいつまでも在庫で抱えるんじゃなくて、きれいサッパリ販売してしまいたいんじゃないかな?
このへんは要取材だね。

もう一つ。
キッズは成長が早いから、買い換えのサイクルも早い。
だから「購入」じゃなくて「レンタル」ってことだよね。
親御さんには、次のモデルに替えるときの経済的負担軽減が重要。
ここんとこおさえておく必要がある。

で、思ったんだけどね。
キッズ用ボードの中古市場が確立すればいいんじゃね?
正確に言うと疑似長期レンタル。
新品を売って、あとで買い取る。
だけど買った値段と売った値段の差が、レンタルとして現実的な価格。
それだったらOKじゃね?
で、買い取ったボードやブーツも、きちんとメインテナンスして再販する。
んでもって、またまたレンタルとして現実味のある差額で買い取る。

ポイントは中古販売とか、そういう発想をしないこと。
目的はキッズに、馴染んだ「自分の板」でスノーボードを楽しんでもらうことだからね。
中古を売って儲けるとか、そういうことじゃない。
形は売買だけど、経済的負担は長期レンタル。
この合意が、買う方にも売る方にもできてれば問題ない、はず。

つまり
1. 「キッズ用スノーボード組合」でも何でも良いんだけど。まずはスノーボードのメインテナンスができるショップが結束。
2. 提携店でキッズ用スノーボードを販売。値段は普通でOK。気に入ったら、そのまま自分のものにしてもらえばいいだけ。
3. 販売の際には「組合」で買った、っていう販売証明書を添付。
4. 証明書のあるボード、ブーツ、バインディング、ウエア、ゴーグルなどは、一定期間内なら販売価格からレンタル相当の料金を引いた値段で買い取り保証。
5. 買い取ったギアはチェックしてメインテナンス。問題なければ2に戻る

ってシステムはどうかな?
キッズにスノーボードを好きになってもらうことが目的だから、シーズン中の2月までに持ってきてくれると買い取り価格アップ!なんてことはしない。
それじゃあ春雪で一緒に遊べないじゃん!
夏だってインドアがあるし、なんならキングスもウォーターもあるし。
今やスノーボードは年間スポーツだからね。
4の買い取り価格についてはちょっと詰めないといけないな。
あとはキッズが長く遊べることを最優先にしないといけないだろうけど、買い取りの締め切りを設けとかないとビジネスはたちゆかない。
このあたりはバランスが必要だな。

問題は業界がこのシステムでどうやってビジネスを成立させるか、かも。
擬似長期レンタルだけでは絶対に食っていけないだろうから、なにがしか他のビジネスと密接に関わってないと長続きしない。
そのあたりを親御さんが理解してくれて、「キッズのスノーボードライフを支えてくれてるショップで買い物する」っていう意識が芽生えてくれれば良いんだけど……。
キッズのギアは「組合」で買うけど、自分の板はネットで激安並行輸入。
なんてことになるとこのシステムは成立しなくなって、買った板はオークションでよろしく、しかなくなるね。
それじゃあ今までと同じだ。何も生まれない。

なんだかこの問題、みんなで知恵と力を合わせれば解決できるような気がする。
要は誰が中古の査定をして、中古品の品質を保証するか。
そこだよね。
で、そのキッズ用スノーボードの擬似長期レンタルシステムをみんな(業界とショップと親御さん)でサポートする合意がとれるかってことなんじゃないかな?
業界とショップは持てる技術と設備、人材を提供する。
親御さんたちは「組合」に加入してるショップで買い物をする。
お互いがお互いを支え合うことで、キッズの未来が開ける。
これは素晴らしいことになりそうな気がするよ>switchb5さん

ま、上に挙げたのは単なる一例。
ホントにキッズ用シーズンレンタルボードを実現することができるのか。
そのためには何が必要なのか。何をどうすればいいのか。
僕にはまだ、さっぱり分からない。
けど、こうして考えることが最初の一歩につながっていくはずだからね。

最初から完成品のバージョン無限大を目指すんじゃなくて、バージョン 0.1から始めてみよう、ってのが流行だけど。
考えることはバージョン 0.1の設計図を書くことでもあるからね。
何かの役に立つような気がする。
よかったら、みんなの意見も聞かせてください。

ツイッターの
takurohayashi

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10.09.20 スケートパークには賛成? [いろいろ]

なんかね。
岡山のパーク存続とか澁谷の公園のスケートパーク建設の話題とかで思ったんだけど。

こういう話でいちばんまずいのは、自分がスケーターだから応援する、自分がスノーボーダーだから応援するっていう姿勢だと思う。
それは単なる思考停止だと思うんだよね。

スケートパークだから存続させようとかスケートパークだから作るの賛成っていうのは、好きなスポーツだったら応援するけど嫌いなスポーツは排除しちゃうよ、っていうのと同じでしょ。
つまりスケートが嫌いだからパーク潰しちゃえ、っていうエライ人と同じ価値観だよね。
それじゃあ絶対にわかり合えないし、行き着くところは人をスポーツ種目で切り分けるレイシズムでしかないと思うんだよね。

たとえば渋谷なら、スケートパークができるからOK!じゃなくて。
どんな施設であろうとどんな会社が関わっていようと、そこまでの話の流れは社会的にありなのか、なしなのか。
経緯を聞いたとき自分の中の『正義』はどう反応するのかってところのみが問題であって、スポーツの種類は関係ない。
スケーターとしてとかスノーボーダーとしてではなく、オレは、私はっていう生身の自分がどう判断するか、だと思うんだよね。

たとえばスケートパーク建設賛成って人たちが集まったときにね。
バットを持ってる人やゴルフクラブを持ってる人やバスケットボールを持ってる人や近所のお散歩を楽しむおじいちゃんなんかもいてね。
自分は野球が大好きだから、スポーツが好きな人の気持ちも分かるよ。ここでやんなよ、とか。
若い人が運動してるのを見るのは楽しいね、とか。
いろんな人がめいめいに「ここでスポーツを楽しもう」って声を上げてる風景こそが健康的だと思う。

ジャンルを超えてスポーツを語るっていうリベラルさを、スケーターやスノーボーダーは持ってる気がする。
だから。
ここはひとつ、僕らから始めるのはどうかなって思うんだよね。





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10.08.25 「R246」 Akira Tanaka写真展 [本や映画、音]

「それは現場で起きていた。」
「それは一瞬にして現れた。」

「現場」は神戸で開催される写真展のフライヤー。「一瞬」は東京。

僕はTEAM 246がどういうチームなのか知らなかった。
だからいったい現場で何が起きていて、何が一瞬にして現れたのか知りたくて。
いわばキャッチコピーに引かれて、文章のチカラに導かれて写真展に行ってみたわけ。


AKIRA TANAKA氏によるTEAM246の完全密着ドキュメンタリー写真展
R246




100825-1.jpg
「 THE LAST GALLERY」
3-1-11 Shirogane Minato-Ku
Tokyo, Japan, 1080072
+813 5422 9207

白金の町工場が何件か並ぶ裏通りにある。


100825-2.jpg
この看板がないと、絶対分からなかった。


ドアを開けると黒い暗幕。
夜の高架下を感じさせるセットから、反転して白い壁のギャラリーへ。
闇の喧噪から、白色の静寂へ。
そこにはおそらく、300〜400枚くらいの紙焼が虫ピンで展示されてた。モノクロで撮った街の風景と人と、その行為。
カラー写真に焼き込まれた色の流れ。
TEAM 246が何をしてるのかは、ここでは語らない。
ここにあるのはストリートが変化していく様子だ。
現れたもの、現場の様子、街の風景の中に溶け込むもの、浮き上がるもの。
マスク、背中、足もと、シルエット。そして作品。
その行為の性格上、TEAMのメンバーは誰も素顔をさらしていない。

けれど1枚だけ、カメラをまっすぐに見ている視線がある。
何百枚かの中の一枚だけが、こちらを見返してくる。
広くはない部屋の中で、その唯一の視線が印象的だったな。




100825-3.jpg
会場で買ったブックレット。
隅々まで熱が行き届いて濃密。
ゴールテープを切るまでスピードを緩めないランナーのような作り。


写真を撮っているAKIRA TANAKAさんのウェブサイト。
今回の写真展の詳細も。
Akira Tanaka Photography


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10.08.13 「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」 by 福岡伸一 [本や映画、音]

僕らは毎日ごはんを食べてる。
人間は食べないと死んじゃうからね。

でもさ。
なぜ食べないと死んじゃうんだろう?

食べ物が栄養になるってどういうコトなんだろう?
僕らが食べたものはカラダの中でどうなっていくのかな?
消化される、栄養になる、身体を作るって、具体的には何が起こってるんだ?
そして、最終的な疑問に辿り着くよ。

生きてるってことはどういうことなんだろう?

福岡伸一さんは分子生物学者で、これまでに「生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)」で生物が生きているとはどういうことなのかを記し、「もう牛を食べても安心か (文春新書)」では牛海綿状脳症(いわゆる狂牛病)の原因とされるプリオンを通じて、病気が種を超えて広がるしくみと、ヒトがタンパク質を摂る理由から生物が生きているという状態を分子レベルで丁寧に解説したよ。
もちろんその他にもたくさんの著書があって、どれもが整理された優れた文章で分かりやすく綴られていく。
個人的には文章のお手本としても注目してるんだけどね。

福岡先生の主張は明快だ。
つまり、生物は身体を作るパーツを手に入れるために食べてる。
食べることで身体の中の分子は、食べたものの分子と瞬時に入れ替わり、古くなった分子は排泄され、食物から手に入れた分子によって構成されたアミノ酸や酵素が身体を作っていく。
生物っていう複雑なシステムは悪くなったり古くなった部分を丸ごと取り替えるっていうやりかたよりも、いわゆる新陳代謝を起こして常に全体をリフレッシュしていくほうが理にかなってるんだって。
そのためには、新しいパーツを供給し続けないといけない。

おもしろいのは、食べたものはそのまま身体のパーツになるんじゃない。
たとえばお肉は体内で直接筋肉や皮膚に置き換わるんじゃなくて、筋肉や皮膚や消化酵素を作りだすことのできるパーツとして吸収されることになる。

この本「動的平衡 -生命はなぜそこに宿るのか-」ではこう説明されるよ。

「消化とは、腹ごなれがいいように食物を小さく砕くことがその機能の本質で決してなく、情報を解体することに本当の意味がある。タンパク質は、消化酵素によって、その構成単位つまりアミノ酸にまで分解されてから吸収される。
 タンパク質が「文章」だとすれば、アミノ酸は文を構成する「アルファベット」に相当する。「I LOVE YOU」という文は、一文字ずつ、I、L、O、V……という具合に分解され、それまで持っていた情報をいったん失う。」
(引用元/「動的平衡」 P67〜68)

たとえばお肉はすでにお肉とかじゃなく、栄養素としてのタンパク質でもなく。
もっと微少なアミノ酸にまで分解されて、はじめて身体に取り込むことができるんだって。
じゃあなぜタンパク質をアミノ酸にまで分解しないといけないのか。
そのシンプルな疑問から、やがて病気に感染しないための生物のシステムや、生命の本質、そして食べ物を摂るっていうことがどういうことなのか、なんかが語られていく。

福岡先生の生命観はとても興味深い。
僕らの身体ってのはしっかりした形があって、明らかに手に触れる実体のあるものだけど。
分子生物学的に見ると、生物っていうのは食べ物を構成していた分子が通り過ぎていく過程でしかないんだって。
この実体がある身体も分子レベルで見れば常に入れ替わって新陳代謝を続けている。
つまり生物の身体っていうのは、来ては去りする分子が一時的に停滞している状態でしかない。
この常に変化し続ける「動的」な「平衡」状態が「生きている」っていうこと。

この感覚はちょっと足もとが揺らぐっていうか。
自分の身体が信用できなくなる感じがするよね。
今、この状態が「動的」な「平衡」状態でしかない、っていうのはにわかに受け入れがたい感覚なんだよね。
つまり、いろんな原稿を書いたり、女の子をデートに誘いたいなって思ったり、スノーボードが楽しかったりする「僕」という生物は、分子の雲の揺らぎの中にしか存在してない。
その分子は動的に、常に入れ替わってる。
それなのに僕は僕としての記憶と自我を保持しつづけている。生きている間はずっと。
身体や神経や脳さえも「動的」な「平衡」状態でしかないとしたら、「僕」の本質はどこにあるんだろう……?

この本は生きてるっていうことを分子レベルで考えて、生命活動が「動的平衡」状態だっていう新しい生命観を与えてくれたよ。
その意味ではものすごくおもしろかった。


あとさ。
“食べ物として身体に入ってきたものは分子レベルにまで細かく砕かれて、身体の中のどこかの細胞を構成する分子として利用され、同時に古くなった分子をつぎつぎに体外に捨ててる”
この考え方は、食べ物に対する短絡的な概念を整理してくれるよ。
たとえば。
この本の中でも、ちょっとだけフードファディズムに関わる考察がなされてる。

よくコラーゲンたっぷりのお料理を食べたらお肌がツルツルになるっていうハナシがあるけど。
あれはあり得ないんだって。
まぁ、難しいハナシを聞かなくても、そんなのはちょっと考えれば分かるよね。
コラーゲンを食べたらコラーゲンになる? もしそうなんだったら、鶏肉を食べたら鶏の筋肉がつくことになるよ。豚を食べたら豚になっちゃう?
もちろん、そうじゃない。
食べたものがそのまんま身体を構成するパーツにはなるわけじゃない。
じゃあどうしてコラーゲンだけは直接コラーゲンになるって思っちゃうんだろう?

たぶん大多数の人はこう思ってる。
「食べたものが直接身体のパーツになるんじゃない。身体の中にコラーゲンをたくさん取り込むと、コラーゲンの原料がたくさん手に入って、結果的にコラーゲンがたくさん作られて、お肌がツルツルになる」って。

ブッブー。
さっき言ったみたいに、食べたものはすべて分子レベルにまで分解されてから、体内に吸収される。


「コラーゲンは、細胞と細胞の間隙を満たすクッションの役割を果たす重要なタンパク質である。肌の張りはコラーゲンが支えてるといってよい。
 ならば、コラーゲンを食べ物として外部からたくさん摂取すれば、衰えがちな肌の張りを取り戻すことができるだろうか。答えは端的に否である。
 食品として摂取されたコラーゲンは消化管内で消化酵素の働きにより、ばらばらのアミノ酸に消化され吸収される。コラーゲンはあまり効率よく消化されないタンパク質である。消化できなかった部分は排泄されてしまう。
 一方、吸収されたアミノ酸は血液に乗って全身に散らばっていく。そこで新しいタンパク質の合成材料になる。しかし、コラーゲン由来のアミノ酸は、必ずしも体内のコラーゲンの原料になるとはならない。むしろほとんどコラーゲンにならないと言ってよい。」
(引用元/「動的平衡」 P76〜77)


お肌にいいコラーゲンも、コエンザイムナントカも、何千円もするサプリメントも。
結局はアミノ酸に分解されて、バラバラのパーツになって別の物に組み立て直されるんだよ。

それは分かっていても、身体にいいって聞くと(ところで身体にいいって、具体的にどういうこと?)、都合のいい考え方に落ちていっちゃう。
これを食べれば健康維持ができるだとか、あれが身体にいいとか、ナントカはダイエットに効くとか。
場合によってはきちんとした研究機関まで持ってる会社が、こういった「食べ物に関わる都市伝説」をあおるような製品を市場にまき散らしている。
ある食品が持つ、ほんの小さな効果を大々的に打ち出して、体調が悪くなるっていう「不安」につけ込んでくる。
虚飾の健康指向と、正しい知識に裏打ちされた食物観。
それを見分ける知識を持てば「コラーゲンでお肌ツルツル」や「身体にいいサプリメント」に何千円も費やすことはなくなるんだけどね {^^}
(お金だけの問題じゃないよ。そのカラフルな錠剤は、いったい何からできてるんだろう?)

なぜ生物は食べないといけないのか。
このことをきちんと理解することは、自分の身体と向き合い、何を食べるべきかを意識することに直結する。
フードファディズムに侵されない強力な支えにもなるしね。

疾病予防やミトコンドリアの働き、そして食べ物を正しく理解するという姿勢まで。
「動的平衡」は分子生物学っていう視点を通して、新しい生命観を体験させてくれた。

科学の冒険書としては、すごく良くできてる。
理科好き男子と、本気で食べ物に気をつかってるアスリートには、是非。







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10.07.31 スケートメモ【50-50 フェイキー】 [スケート]


気がつくと1ヶ月くらいスケート関連のお話を書いてなかった。
仕事が忙しくてスケートどころじゃなかった、わけじゃなく。
ちゃっかりAZure主催の「ガムチョップ 2」にも参加して肉→Beer→スケートっていう黄金のワルツを楽しんだり。
このオフシーズンからスケート始めちゃった友達と賑やかに滑ったり。
なんだかんだでマメに滑ってはいたんだけども。
もう〜〜〜〜〜、っていじいじしちゃうくらいできないことの連続だったもんで具体的なことが書けませんでした!

んでもまぁ、昨日ちょこっとね。
まだ扉は開ききってないけど、どこにドアノブがあるのか、押せばいいのか引けばいいのかくらいは分かった。
50-50からフェイキーで下りるヤツ。
とにかく前のトラックが引っかかりそうで、ちょ〜〜ビビってて。
全然できねぇ!って3週間くらいダメダメだったんだけど。
昨日、ローカルの比留間君に教わったら、あっさり扉オープン。

すごいね。
3週間自力で切り開こうとしてもダメだったことが、教わると30分だよ。
オラの2週間と6日間と23時間30分を返してけろ。

忘れないうちに書いとく。

【50-50 フェイキー】
・50-50をかけたら、前のトラックは深く、後のトラックは浅くかけ直す。つまり、コーピングに対して板は軽く斜めなのだ。
・ヒザの屈伸でタイミングをとったら、後ろ足のつま先を意識しながらフェイキーで乗っていく。この時、太ももをまっすぐ立てたまま、ヒザを曲げていくようにする。イメージはアールにひざ蹴り。上半身が板にかぶっちゃうと後のトラックがコーピングから抜けない。身体全体をまっすぐ立てたまま、後ろ足に乗っていく。
・最初は前のトラックが引っかかりそうでとても怖い。いったん前のウィールでプラットフォームを叩くようにしたまえ。つまりインターフェイキー状態ね。
・そのために前足は抜くってよりも、コーピングをまたぐようにかかと側に引く。したら勝手に前のトラックは持ち上がってくれる。難しいコトは一切考えない。
・それでも前のトラックがコーピングを超えるときにバランスを崩しやすい。後のトラックに乗るマニュアル状態をイメージしておくと吉。


前に書いたロックンロールは意外にあっさりできるようになったんだけど。
ポイントはやっぱり腰だったんだけど。
その腰を「回す」イメージが必要だったみたい。
スケート始めて、こんなに回すことを意識したワザは初めてだったな。

【ロックンロール】
・アールに入るときから身体全体をゆっくり回していく。板はまっすぐインターフェイキーかけに行ってるように見えるけど、下半身をシフティ気味に残していく感じ。上半身はずっと回しながら先行してるけど、下半身を一瞬逆ひねりにしてるのだ。
・板を返してくるときはマニュアルを意識。ちゃんと前足を持ち上げないと、板が身体の下に入ってきてくれない。

けど、今のやり方はカッコよくない。
もっとまっすぐ入って、後ろに向けた身体の下に、ぐーっとためてからスッと板を引き込むようにしたい。
回すワザじゃなくて、返すワザ、っていう分類でやりたいなぁ。


あとね。
最近、なんだかんだ言ってランプでいろんなことやろうとするとマニュアルができないとダメなんじゃね?って気がしてきた。
今回の50-50 フェイキーとか、ピボット・フェイキーとかブラントとか。
マニュアルとパンピングができたらランプはだいぶ楽しい、ってのが7月の結論。
なもんで来月はマニュアル強化月間にしたいと思ってるところ。





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10.07.23 「トイ・ストーリー 3」を観てきた [本や映画、音]

いや〜〜、楽しかった。
最高!!!!
笑って、ドキドキして、泣いて。
映画がこんなに楽しかったのは久しぶりかも。
あと3回くらい行ってもいいな。


公式サイトはこっちね。
トイ・ストーリー|ディズニー・オフィシャル・ホームページ



ま、正直「1」の時は、お話しは良くできてるけど、やっぱCGには限界あるよな〜って感じだったっしょ?
特に人間の動きね。
おもちゃはもともと無生物だからCGで「動く」こと自体に感動できるけど、生物で動くことが大前提の人間とか犬とかは、CGになると「違和感を感じるほど滑らかな動き」になってた。
そのへんが気になってたんだけどね。

もう〜〜〜やばいよ、今回は!
動き良すぎ。
だってCGのキャラクターが絶望を受け入れて誇り高い最後を迎える、なんていう演技をするんだよ。
生身の役者だってあんなふうに目で語るのは難しいと思う。
それをCGで!
あとね、雨や粉砕されたゴミとか。
あらゆるものの動きが良すぎ。
人間とか、もう人間そのものだったもん。
ピクサーってまたCGアニメのハードルをいっこ上げちゃったなぁって思ったよ。

ウッディやバズもだけど、何あのケンのすり足動き! んでもってわずかな変化で感情表現バッチリな演出。
あのおもちゃで遊んだことのある人たちは、みんな爆笑したでしょ。
だって絶対ああいう動きになるもん!

あとね、途中でバズがちょっと変わったキャラになるのはお話し的にはさほど重要じゃないと思うけど。
もしかしたらアニメーターたちはあのきびきびとした動きをバズにさせる、っていう遊びを楽しんでたんじゃないかな。
ケンのショータイムもそうかも。
必要なんじゃなくて、やって見せたかったんじゃないかなぁ。
そんくらい、動きに関しては「作ってる側の楽しんでる感」がぎゅっと詰まってた。

で、肝心のお話し。
こっちもすごく良くできてる。
例のおもちゃたちが間違って捨てられそうになって、ギリギリ助かったけど、辿り着いたのはイヤな世界。
おもちゃの持ち主アンディが家を出て行くまでに、おもちゃたちはアンディの家に帰らないといけない。
真実を知って家に帰ろうとするウッディ、嫉妬から誤解を認めようとせずに易きに流れる仲間たち。
そうして出会いと冒険と、再会と、絶望がやってくる。

作りとしては実に古典的。
っていうか典型的な「行って、帰る」おハナシ。
前に感想を書いた「ボルト」もそうだけど、映画のストーリーには、この「行って、帰る」がベースになってるものが多いんだよね。
行く時には不可抗力で。そして帰りには何かしらの制限があるけれど、それに間に合うように困難を乗り越えていく。
主人公たちは困難を乗り越えることで人間的に成長し、あらたな物語の出発点に立つ。
これがほとんどの映画の物語の柱。

で、今回、このストーリーは秀逸のラストを迎えるよ。
もうね、登場人物のキャラクターを成立させるにはこれしかない。
「1」や「2」とはそぐわない部分もあるけど、「3」だけに絞ってみれば、この終わり方はすげぇ。
それっくらい良くできたお話し。
そのあたりで大人は完全に泣ける。泣かないまでも、ここで胸がグッと熱くなってくる。
ウッディのキモチ。他のおもちゃたちの嫉妬と羨望、そして期待と愛情。
そういったものが1つになって、ノスタルジックな感動へとつながっていく。
見終わった後も、爽やかな感動を味わえるよ。

ちなみに。僕は3D版を観たんだけど、「トイ・ストーリー 3」に関して言えば、3Dである必要性は感じなかった。2Dでじゅうぶん。DVDが出たら買いたいなぁって思えるよ。
ただし!
前座的に上映される「デイ・アンド・ナイト」っていう短編が、ものすごく良くできてる。
これは3Dのアニメじゃないと表現できない!
「デイ・アンド・ナイト」には絶対にアニメーションと3Dが必要だった。
技術を小手先のギミックとしてじゃなくて、表現手法の1つとして良く理解して取り入れた好例だと思うよ。
だから映画館で観るなら3Dで。
でも本編は後でDVDで見ても家族で楽しめるっていう、3Dと2Dのいいところを上手く組み合わせたプログラムになってる。

途中で吹き出すほど笑えるところもあるし、ツメの跡がつくほど拳を握っちゃうシーンもあるし、びっくりしてイスから飛び上がりそうな場面もある。
映画ってさ、やっぱエンターテイメントなんだよね〜、って芯から楽しめる作品。
マジでオススメ。
男女を問わず、大人は是非!



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10.06.28 FROM YOUTH・門田 祐輔 脱退ライブ [本や映画、音]

FROM YOUTHとはここ数年のおつきあいですが。
アルバムジャケットを撮影させてもらったり、ライブの撮影をさせてもらったり、トラックダウンのスタジオに呼んでもらったり。
つきあい始めたらいきなりディープな方向に直滑降。

そのFROM YOUTHのオリジナルメンバー、ボーカルをとっていた門田(かどた)君が、バンドから抜けました。

大丈夫。
ケンカ別れとかじゃなくて、実に発展的な脱退です。

去る6月27日は、FROM YOUTHのライブでした。
門田君がボーカルをはるのは、これが最後になります。
会場には元FCのビルさんがいたり、『祭』の世話役をやってくれてる親方がいたり。
『祭』に参加してくれてる人たちの顔が見えたり。
スノーボードに関わりのある人たちだけじゃなく、当然のように高円寺辺りを根城にしてるバンドマンたちが詰めかけ、門田君の地元の高知からわざわざ飛行機に乗ってやってきた人もいて。
対バンにはusual O.K.なんかもいたからね。
それはそれは、賑やかなフロアでした。

たぶん、MCの途中で門田君は涙ぐんでたんだと思います。
僕らも門田君が何か言う度に、胸の奥にこみ上げてくるものがありました。
その中で。
僕はこの言葉を聞いて心の底から嫉妬し、羨ましいと思ったんです。
「今日はオレ、何も言わんからな。オレの言いたいことは、ありがとうもさよならも、全部、全部、今日演る曲に込めてあるから」

こんなことを言えるなんて最高だ!
自分の今の感情を、自分の作品で代弁させることができる。
しかもずっと前に作った曲で。
門田祐輔というミュージシャンが、10年もの間いかに芯をブラさずにやってきたか。
そのまっすぐさを思い知らされた瞬間でした。

そして
「今日はアンコールなんて言うなよ!! これで全部。これ以上は演らんから!」
と言い切れる自信。

セットは全部で5曲。

『月光』
『道』
『ユースサイド』
『13』


最後の曲を前にして、門田君は叫びます。
「これで最後。もうオレはFROM YOUTH歌うことないからな! これがほんまに最後。ついて来いよ!」

そう叫んだ5曲目は
『春を待つ人』
でした。

演ったのはすべてオリジナルFROM YOUTHの時代に作ったものばかり。
メンバーの変わったFROM YOUTHで演っても、ライブはどこにも過不足のない見事な仕上がりでした。

『春を待つ人』はFCムービー Part8のエンディングテーマにも使われた曲ですが。
このムービーで僕は初めてエンドロールに自分の名前がクレジットされました。
FCムービーに自分の名前が載る。
その時の誇らしいキモチは、未だに『春を待つ人』を聞く度にわき上がってきます。

一度、FROM YOUTHのインタビューのために練習スタジオに入れてもらったことがあります。
その時、門田君が。
「何か演りますけど、拓郎さん何がいいですか?」
って言ってくれて。いやいやって遠慮してたらイズミ君とマコちゃんが
「どうせ演るんで」「そそ。選んで」
って笑ってくれたことがありました。
じゃあ、っていうんで僕は『ユースサイド』をリクエスト。
吉祥寺のスタジオで、僕は大好きな曲を生で、独り占めするという幸運に浸りました。

僕の本職は物書きです。
言葉を生業とする者として、考えてることを形にする難しさを日々痛感しています。
あるフレーズの中にすっぽりとキレイにはまる言葉を探し当てたときには、アタマの中と書き綴った文章とが直結したような爽快感があります。
けれどそう思えることは少なくて。
たいていはアタマの中にあるイメージをなんとか読んでくれる人と共有したいと思って、イメージそのものではなく、そのイメージをバトンを渡すように伝えてくれる伝令役の言葉を探し、もがき、悩みます。
そうして選び出した言葉を並べても、やっぱりそれは何だか空々しくて。
考えてることを伝えるにはどうしたらいいんだろうと、途方に暮れることがあります。

だからといって。
言葉だけでは伝わらないからといって、そこに何かを足すのは安きに流れすぎだと思っています。
簡単に分かりやすくするためのBGMではなく。
言葉をより輝かせるための音があり、音をより明確に伝えるための言葉がある。
それがかけ算になって訴えかけてくるのは、作り手のキモチです。
FROM YOUTHの歌は、常に言葉と音とがシンクロしていて、心地よい疾走感を楽しませてくれました。
歌い手が、語り手として、自分のキモチを表現する言葉を選び、さらにその感情を際だたせる音を添える。
これが人の心に響かないはずがない。
だからいつも言葉に悩む者として、言葉と音を操る彼らを、心の底からすごいと思ってきました。

残念ながら、もうFROM YOUTHで門田君の声を聞くことはできません。
けれど、幸いなことに僕らにはCDがあります。
セットすれば、いつでも2010年6月27日までのFROM YOUTHを楽しむことができます。
そして、これからは、2010年6月27日以降のFROM YOUTHと、新たな活動をはじめる門田君の歌の、両方を楽しむことができる。
そう思うと、僕らはなんて幸せなんだろうと思います。

言葉を音にのせて歌にしたとき、言葉の重さも、意味も、響きも、美しさも、そこに込められる気持ちも。
すべてが何倍にも広がっていく。
そんな歌の持つ力を思い知りながら、歌い人のチカラに酔い、その船出を祝う。
たくさんの友達とその瞬間に立ち会えたことは、どっしりとした幸福感となって、今もゆっくりと身体全体に染み渡っていくようです。

本当に良い夜だった。


FROM YOUTH 門田 祐輔のメッセージ
「鳩ヶ崎公園電灯の下」

過去にFROM YOUTHについて書いたこと。
09.10.21 FROM YOUTH 新譜「eleki game」


<2010年7月1日・追記>
門田君の脱退とFROM YOUTHのことを、ギターのイズミ君が愛情たっぷりに書いてるよ。
FROMYOUTH DIARY:ありがとうございました。





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10.06.25 「誰が誰に何を言っているの」 by 森 達也 [本や映画、音]

作者の森 達也さんはドキュメンタリー映画を作ってきた人。
オウム真理教を題材にした「A」や「A2」で有名だね。
「いのちの食べかた」や「王様は裸だと言った子供はその後どうなったか」なんて著書で、物事の本質を描き出す作家でもあるよ。
ちょっとネットで検索すれば、森さんの著書はたくさん見つかる。

で、今回読んだのはこれ。



町中にある『防犯カメラ』ってどういう意味なんだろう?
言葉だけのイメージだと、誰かが見守ってくれていて、危ない状況になると助けに来てくれる、っていう印象がある。
けどそうじゃないことは、ちょっと考えれば分かるよね。
実際には誰かが危ない状況になったら助けに行く、んじゃなくて、誰かが面倒なことをしないか監視(リアルタイムの監視もアリだし、映像を記録しておいて後で見直す監視もあるね)してる。

町中で見かける『防犯カメラ』の正体と、そこに書かれてる「防犯カメラ作動中」の意味。
『テロ警戒中』『特別警戒実施中』といった看板は何を訴えようとしてるんだろう?
日常の中に入り込んできてすっかりなじんでしまった「警告」や「注意」を改めて見直してみると、それは違和感の固まりだ。

いつのまにか、僕らは脅かされている。
危ない世の中になった、と。
むごたらしい殺人事件が起こり、少年は凶悪犯罪にはしり、子供は変態の餌食になり、若い女性は通り魔に襲われる。
テロの危険性は常に社会を覆い、明日にもこの国めがけてミサイルが飛んでくるかもしれない、と。

ホントに?

今の日本は世界的に見てもトップクラスに治安のいい国だ。
たとえば殺人事件の発生件数をみても
「2002年度版の犯罪白書によれば、人口10万人あたりの年間における殺人発生数は、アメリカが5.5件でフランスが3.7件、ドイツは3.5件でイギリスは2.9件、そして日本は1.2件だ。(ただし警察庁がまとめる日本の殺人事件には、前述のように予備や未遂に一家心中まで含まれているから、実質は1.2の半分強の数値と推定される)」
(引用元:『誰が誰に何を言っているの』 P35)

さらに。この国の治安は良くなっている。
「2010年1月14日、昨年(2009年)1年間に起きた殺人事件の総認知件数が1097件であったことを、警察庁が発表した。戦後において最も少なかった2007年の1199件をさらに102件下回り、最小記録をまた更新したことになる」
(引用元:『誰が誰に何を言っているの』 P2)

殺人事件は認知件数がいちばん多かった1954年の3081件から、1/3にまで減ってる。
データ上での日本はじゅうぶんに治安が良く、安心して暮らせる国なのだ。
なのに『防犯カメラ』が設置され、いろんな町で『こどもたちを守ろう』としてパトロール隊が作られ、うっかり公園で子どもに近づくと犯罪者扱いされる。

いったいみんな何を恐れているんだろう?
この国は年々安全になっているのに、どうしてそのことが報道されないんだろう?
どうして凶悪犯罪が増えている危険な時代、という印象ばかりが目につくんだろう?
誰が誰に何を思わせたいんだろう?

危機に備える。
それ自体は決して悪いことじゃない。
人間は用心深く、恐がりだからこ、貯えたり、あらかじめ作ったり、用意したりすることができる。
未来に備えて今を生きることができる。
不安や恐怖は、生き残りの準備を促すモチベーションだ。
それが人類の進化や発展を促してきた。

だけど起こりそうもない危機に対して、周到すぎる用意をすることは意味がない。
そんなの当たり前でしょ。
この本の中では「マムシに注意」の例で話されるけど、
僕らは出るぞ出るぞと脅かされてるから、柳の木が幽霊に見えるようになってしまったのかもしれない。
そして、こう言いはじめる。
「用心してしすぎることはない。ホントに幽霊だったらどうするんだ!」
ってね。

凶悪事件は刺激となって視聴率を稼ぎ出し、不安は備えのための保険や携帯電話を買う理由に変わっていく。
そう、周到すぎる用意は、ある種の業界を潤わせることになる。
不安は商売になる。
ダイエットも健康も、抜け毛予防も頑丈な車も。
不安が出発点だ。

そんな社会のからくりを見抜いたとしても。
「ホントに幽霊だったらどうするんだ!」
の声に反論はできない。
だってそれは正論だもの。

正論。正当な理屈。正当な正義。
タダシイイケン。
正しいからこそ、人間はこの「正当」という部分をいいわけにして暴走する。

森さんが恐れているのはこの「正義の暴走」だ。

悲しむ人がこれ以上増えないように、社会全体で警戒する。
用心する。考えられる限りの事態に備える。
そして正義のために、今回だけと例外的措置を執る。
正義のためならしかたないと、法をねじ曲げて解釈する。
みんなのためなら仕方ないと、個人を一斉に攻撃する。
それがある一定方向に向かってしまうと、正しいことのためなら仕方がないのだと、最後の一線を踏み越えてしまう。

巻末、この本が何を言わんとしているのかがハッキリと記されている。

「過剰なセキュリティは不安や恐怖を軽減しない。むしろ増幅する。その帰結として仮想的が生まれ、「やらねばやられる」との大義になる。こうして「愛する人を守るため」の防衛戦争が始まる。」
(引用元:『誰が誰に何を言っているの』 P232)

歴史上、侵略を意図した戦争は希だ。
戦争当事国にしてみれば、その戦争は「やられる前にやらなければならなかった自衛の戦い」であり「大事な人たちを守るために立ち上がった、正義の防衛戦争」なのだ。
なぜなら、人は悪意だけで人殺しはできない。心がじゃまをする。けれど正義や大義があれば、温厚な誰かであっても大量殺人は可能になる。
まず被害者になることが、事態を拡大していくもっとも簡単な方法だから。

この本は日常に溶け込んだ『防犯カメラ』という言葉からはじまって、その裏にある事なかれ主義、商業主義、極端な正義感、過剰な危機意識を描き出し、最終的には戦争の始まるメカニズムへと辿り着くよ。
防犯カメラから戦争? んな大げさな〜〜、って思うかもしれない。
けど。
読み終わると、大げさには感じないだろうな。
たしかに正義が暴走すると怖い。
それを止めることは難しい。
そしてそこに被害者意識がのっかれば、さらに止めることは難しくなる。

過去の戦争を止めることができなかったのはなぜなのか。
今思えば、なぜあれほどバカなことをしたのかと思うけど。
きっとその時、世の中は「被害者意識」にのっとった「正義の暴走」状態にあったんじゃないかな。
それは誰かが何かをすれば止まるってもんじゃない。
その渦の中にいる限り、「セイギハワレニアリ」なんだからね。
止めようとするのは「ヒコクミン」なのだ。

「「自衛戦争だから正しい」との論理に対しては、「すべての戦争は自衛の意識から始まるのだ」と反論するだけでいい。」
(引用元:『誰が誰に何を言っているの』 P192)

とあるように。
僕らは歴史から戦争が起こるメカニズムを学んできたはずだ。

暴走する正義と過剰な用心深さが、やがて疑心暗鬼と被害者意識に変わり、自称「防衛戦争」へと突入していく。
その失敗を繰り返さないために、僕らは最初の一歩を踏み誤らないようにしなければならない。

このセキュリティは現実に照らし合わせて、必要なのか。
これは誰が誰を守るために、何を意図しているのか。
誰が誰に何を言っているのか。

一歩だけ深く考えれば、正義も暴走しないはずだ。
敏感すぎる危機意識は思考停止の事なかれ主義に他ならない。

用心すべきマムシがいるのか、いないのか。
それを見極める賢さこそが、愛する人を守ることに繋がるんだと思う。







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